======== AHC NEWS #62 ========
( 2007年4月20日発行 )

★私のアマチュア無線史(21)    JA3JM 清水 彰夫 


  
★SSBとの再会

   「SSB」という言葉を初めて聞いたのは、1952年にヘルシンキで行われたオリンピックのとき、
  ラジオ放送の中継に高性能の「SSB」という方式を使用するので、従来よりも明瞭に受信できる、
  ということであった。そのときは「SSB」がどういうものかはわからなかったが、不安定ながら自作の
  1−V−1でヘルシンキからの短波放送を直接受信して喜んでいたと思う。

   それから10年ほどたった1962年頃にはCQ誌にも「SSB」の記事が出始め、14MHzあたりでも
  W局などの「SSB」が聞こえるようになり、これが「SSB」か、と理解できたものです。

   国内でも「国際電気」が「メカニカル・フィルター」を、「八重洲無線」が「SSBジェネレーター」を
  販売開始し、我々にも「SSB」に手が届くようになった。「メカニカル・フィルター」は早速購入して
  「9R59」に組み込み、その選択度の良さを味わっていた。

   1963年になって八重洲無線から7MC用の「FL−40」と14MC用の「FL−20」という
  SSB送信機が発売された。価格は「38000円」。その頃の給料が6000円程度でとてもすぐに
  購入できる状態ではなかった。

   しかし「SSB」に出たいという望みは募るばかり。そこで全預金をはたいて購入することにし、
  「トヨムラ」に注文する。待つこと一月ほど、待望のSSB送信機「FL−20」が届いた。

   早速SSBで運用を開始。ところが出せる電波は付属している水晶発振子による14,150KC
  一波だけ。それでも、この周波数の近くに出てくる局を片っ端から呼びまくった。中には50KCも離れた
  局が弱い信号を聞きつけて応答してくれたのには感激した。

   その後、VFOを作成し、オンフレで呼ぶようになったが、この10WのSSB送信機と9R59の
  組み合わせで50カントリーはQSOできたと記憶している。

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