======== AHC NEWS #53 ========
( 2005年10月20日発行 )

★私のアマチュア無線史(12)    JA3JM 清水 彰夫 


  
★国家試験受験

   1953年3月、ほとんど受験勉強をしなかった高校にも無事合格。しかも吉田君と同じクラスになりましたの
  で、学校帰りのモールスの練習も以前と同じように続けました。

   8月になり、10月期の国家試験の受付が始まりました。無線工学・法規は何とかなりそう。モールスも和文が
  少し不安ですが、大丈夫だろうということで、受験申請書を電波監理局へ送りました。
   9月中ごろに受験票が届きました。学校は理由を言わずに休もうと思っていましたが、吉田君と二人も休むこ
  とになりますので、正直に理由を言うことにしました。

   当時は1アマの試験も学科が主な一次試験と電気通信術が主な二次試験に分かれていたと思います。試験
  場は守口市にあった大阪電気通信高校で、吉田君と一緒に行ったはずなのですが、吉田君についてはまった
  く記憶がありません。それだけ緊張していたのでしょう。

   学科はほぼ完璧に出来ましたが、一つだけ「ラジオダクトについて述べよ」という問題がまったくわかりません
  でした。「電波伝播」の教科書や専門書で順序立てて勉強をすれば 「ラジオダクト」 は当然出てくることですが、
  問題集で勉強しましたので、抜けていたようです。試験官に 「こんなん判らんのか」 と言われてしまいました。
   電気通信術はまず受信ですが、反響がひどく大変聞きにくかったと記憶しています。欧文はほぼ完璧でした
  が、和文はわからない符号(「ヒ」だったと思います)があり、そのあとの5〜6文字が抜けてしまいました。
   送信は一人ずつやりますので、中庭に並んで待たされたように思います。備え付けのキーはガタガタで、
  大変打ちにくいものでした。
   欧文は2〜3語残りましたが、あとは全部打てたと思います。ただ、訂正符号を打つたびに試験官の赤鉛筆が
  動くのが気になりました。問題の原稿はタイプで打ってあるのですが、訂正があったり、手書きで追加が
  あったりで、かなり意地悪なものでした。
   和文は10文字ぐらい残ってしまい、受信の出来具合と併せて半ばあきらめ気分となりました。
   程なく電波監理局から郵便が届き「合格」の文字を見て小躍りしたものです。  

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