======== AHC NEWS #48 ========
( 2004年12月20日発行 )

★私のアマチュア無線史(7)    JA3JM 清水 彰夫 

 

     今回も、終戦前後のかすかな記憶に現在の知識をプラスして、書いてみました。

★もう一人の「ラジオ少年」

  その後、短波放送の魅力にすっかり取りつかれ、毎日オーストラリア ABC の 「ワライカワセミ」や「ワルティング・マティルダ」、イギリス BBC の「ビッグベン」や 日本語放送開始時の「トランペット協奏曲」などに聞き入っていました。
  受信機の方も、空き缶のふたをドラムにした糸掛け式のダイヤルやバーニア・バリコンを 付けたりして、改造や作り変えを重ね、1951年ごろにはAC電源で働く「1−V−1」になっていました。
  その頃は、受信機を枕もとに置いて、朝目がさめると、まずスイッチを入れて9MHz帯の放送を 聞くのが日課になっていました。どうしたことか、9MHz帯の下のほうに出ていた「ラジオ・アンカラ」を 受信してその状況を記録していました。その放送はあまり強くなく、日によってはまったく聞こえないときがあったので、 記録をつけ始めたのだと思います。

  その年の夏休みも終わりかけて、宿題の「自由研究」が気になっていたのですが、 この「受信記録」を「自由研究」にすることに決め、リポートにまとめて提出しました。
  それから2・3週間して、理科の先生に呼ばれ、「もう一人、ラジオの好きな生徒がいるよ。」と言って 「吉田君」を紹介していただきました。「吉田君」の存在はもちろん知っていましたが、 「ラジオ少年」であることは知りませんでした。話をしてみると、受信機を作って短波を聞いているし、 アマチュア無線も知っている・・・・・、で意気投合。

(「吉田君」;吉田和男氏、ex JA3LK KDDの要職や日本衛星電話株式会社社長等を歴任されました。)

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