======== AHC NEWS #42 ========
( 2003年12月20日発行 )

★私のアマチュア無線史(3)    JA3JM 清水 彰夫 

 

    今回も、終戦前後のかすかな記憶に現在の知識をプラスして、書いてみました。

★田んぼの中に飛行機

  私が小学校(当時は国民学校)3年(昭和19年 = 1944年)の年末頃だったと思います。  ある日、学校中が大騒ぎとなっていました。田んぼの中に飛行機が置いてあり、手で触れる、というのです。  早速学校の帰りに見に行きました。学校の東側は田んぼばかりで、学校から300mほど行くと「産業道路」と呼ばれていた広い道路が通っていました。(現在の府道186号 大阪・羽曳野線です)その道路を渡った田んぼの中にわら屋根で作った「格納庫?」が何箇所かあり、その中に飛行機がそれぞれ置いてありました。「赤とんぼ」と呼ばれていた練習機がほとんどでしたが、「本物の飛行機」です。番兵もいませんので、すぐ傍まで行って手で触ることも可能でした。  連日艦載機が飛来していましたので、近くの飛行場から疎開させていたようです。


八尾空港と藤井寺


田んぼの中にわら屋根の格納庫が点在

★宝の山

   空襲はますますひどくなり、近くに焼夷弾が落ちたりしましたが、ついに8月15日を迎えました。その後は空襲警報のサイレンも聞こえなくなり、「田んぼの中の飛行機」もいつのまにかなくなっていました。そんなある日、また学校中が大騒ぎです。「第二球場」に「宝の山」があるというのです。  藤井寺球場の南に「教材園」という公園があることは前回に書きましたが、その南側に「第二球場」と呼ばれているグランドがありました。その片隅に飛行機の部品と思われる金属片などが3・4mの高さに積み上げられていました。  その「宝の山」にはバーニアダイヤルがついたバリコン、プラグインコイル、小型発電機等があったようです。当時はまったく知識がありませんでしたから気付いていませんが、恐らく、受信機や送信機もあったと思われます。  我々子供の「宝物」は発電機の中の強力な磁石、プラグインコイルのふたの5cmくらいの円盤、バーニアダイヤルのフリクションの輪、ベアリングのボール、小さなピストルの様な形をした金属片、などでした。  いま思うと一番残念なのが「バーニアダイヤルがついたバリコン」です。直径10cm、長さ20cmくらいのアルミケースに入ったもので、送信機にそのまま使えたと思います。  後日使えたものがひとつだけあります。それはプラグインコイルで、「宝物」のふたを取ったあとのボビンが縁の下に10個ほど残っていました。これらは1954年、開局当時の受信機や送信機のプラグインコイルとして活躍いたしました。


当時の藤井寺球場周辺の概略図

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