======== AHC NEWS #41 ========
( 2003年10月20日発行 )

★私のアマチュア無線史(2)    JA3JM 清水 彰夫 

 

     小学校6年(昭和22年 = 1947年)のときに鉱石ラジオを作って無線(ラジオ) の世界へ足を踏み入れたことになりますが、それ以前の記憶で無線(ラジオ)に関するものが 2・3あります。

今回は、かすかな記憶に現在の知識をプラスして、その辺のことを書いてみました。

★藤井寺球場にジャミング放送局があった

  私の家のすぐ近く、東100mほどのところに「藤井寺球場」があります。 この球場は数年前まではプロ野球「近鉄バッファローズ」のホームグランドでした。 「ジャイアンツ」との日本シリーズが行われたこともあり、賑わっていましたが、 現在はバッファローズの練習、ウェスタン・リーグ、大学野球、高校野球、 リトルリーグなどに使われているだけで、さびしいものです。


平成15年夏の高校野球大阪府大会表彰式
(PL学園が優勝)

  終戦当時、この球場は倉庫に使われていたようですが、そのほかに、終戦直前の わずかな期間ですが「ジャミング放送局」があったようです。
  当時、球場の周辺は、東側は住宅地、南側に「教材園」という植物公園、 西側すぐに東西60m、南北150mほどの池があり、その向こうは我々の住宅地、 北側は東西に走る電車の線路の向こう2kmほど先の大和川の堤防まで水田が続いていました。


当時の藤井寺球場周辺の概略図

  私が小学校(当時は国民学校)3年(昭和19年 = 1944年)の秋か年末頃だったと思います。 ある日、池のそばの空き地に、一抱えもある長さ20mほどの杉かヒノキの丸太が うずたかく積まれていました。この丸太は一週間も経たないうちに、50mほどの間隔で、 2本の高さ100mは超えるであろう木柱に組み立てられました。 はっきりした記憶はないのですが、T字型のアンテナが張られていたことでしょう。


向こうの照明塔の手前あたりに2本の木柱が建っていた


このあたりの1階にジャミング放送局があった

  記憶ではこのアンテナとの関連がはっきりしないのですが、同じころのある日、 ラジオが突然「ガラガラガラ」と大きな音を出し始めました。ダイヤルをどこに回しても同じです。 ほかの放送はまったく聞こえなくなってしまいました。
  2・3日してラジオ屋さんが来てラジオを直してくれました。当時使っていたのは 「国民型第*号」という高周波1段増幅再生式のトランスレス式のものです。 後で見ますとラジオの裏板にバリコンとコイルがついていたと記憶しています。 そう、ウエーブ・トラップを取付けてくれたようです。

  この頃になると連日空襲があり、グラマンやシコルスキー等の艦載機のほかP−51も 硫黄島から飛来するようになっていました。3kmほど北に八尾空港がありますが、 当時は軍が使用していましたので、これらの戦闘機によってよく機銃掃射を受けていました。
「藤井寺球場のジャミング放送局」も空襲を受けてもおかしくはなかったのですが、 ビーコン代わりに使っていたのかも知れません。

  後にサイパン島から1010kcで日本語放送をしていた、と聞きました。 「藤井寺球場のジャミング放送局」はこの放送に対するものだったと思われます。

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