======== AHC NEWS #40 ========
( 2003年8月20日発行 )

★私のアマチュア無線史(1)    JA3JM 清水 彰夫 

 

   来年(2004年)10月で JA3JM を開局して50年になります。 当時は無線従事者国家試験は1次試験と2次試験があり、合格通知をもらってから 従事者免許を本省へ申請。また、無線局の申請も送受信機の配線図を含む十数頁に及ぶ 申請書類が必要で、10ワット局であっても、予備免許を受け、落成検査に合格しなければなりませんでした。 従って、従事者免許を得るのに1年、無線局免許にも1年ほどの期間が必要でした。

   丁度50年前の今ごろ、大阪府守口市の電気通信高校の校庭に並んで電気通信術の試験の 順番を待っていたように記憶しています。

   この機会に記憶を辿って「私のアマチュア無線史」を記してみようと思います。

★鉱石ラジオ

 私が初めて「無線(ラジオ)」を知ったのは小学校6年(昭和22年 = 1947年) のときだったと思います。当時、新潮社から「銀河」という少年向けの雑誌が発刊されており、 毎月読んでいましたが、そのある号に「鉱石ラジオを作ろう」という記事が出ていました。 友達5・6人と相談して、この「鉱石ラジオ」を作ろう、ということになりました。

 その頃、私は「天文少年」で、この友達たちと大阪市西区四ツ橋にあった電気科学館へ プラネタリュームを毎月、見にいっていました。電気科学館はプラネタリュームのほかにも 電気関係の展示もありましたので、電気にも興味を持ち始めていたことと思います。

 この「鉱石ラジオ」は高周波チョークと鉱石検波器とレシーバーだけが必要なごく簡単なものでしたが、 このような部品をどこで買えばよいのか全く判りませんでした。(日本橋に電気街があることも知りませんでした。) そのような折に、電気科学館へ行った帰りに心斎橋商店街であるラジオ屋さんを見つけました。 恐る恐る店に入って聞いてみますと、親切に相談に乗っていただき、 全部の部品をそろえていただけることになりました。 (終戦直後のこと、ゲタ履きの子供ばかりの客で店の人も驚いたことと思います。) 

 ほどなく「鉱石ラジオ」は完成したのですが、何しろ高周波チョークだけで 同調回路がありませんので、当然のこと、JOBK(第一放送)もJOBB(第二放送)も 一緒に聞こえてきます。他の友達は作っただけで満足したようですが、 私はどうしても気に入らなくて、何か方法はないかと考えていたようです。

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